2003年1月【きっかけ〜病院(病棟)】のページ からご覧ください。

準備中2005年7月より【在宅介護のはじまり】のページになります。

ここは【医療療養型病棟】にお世話になっていた頃のの記録です。
まだ未完成です、(08.05.10現在)



2003年6月<療養型病棟に移りました>(2005年7月3日まで)

   イロウを造ったあと脳梗塞をおこした(先月5月)頃も、
   水分が100mlだったのがとても気になっていて、
   『水分を増やしていただけないか』と
   何回もお願いもしていました。
   増やしてもらえず時は過ぎてしまいましたが、
   6月になって
   同病院の療養型病棟に移ることができました。
   そして数ヵ月後、
   水分を200mlに増やしてもらえました。
   気になっていた水分についてはほっとしたのでした。

   <脳梗塞を起こしたため、新設の療養型病棟に入れたのでした。>




2003年8月22日【気になるカップル】


母が入院している病院でよく見かけていた若い女性と、
今日は面会時間最後までいたので一緒に病院を出たのです。
駅までいろんな話しながら歩いていったのです。
ご主人が入院しているとおもっていたが
まだ結婚はしてないとのこと、
病院といっても、今のところは、医療型療養施設、
お年寄りが多い中数名の若い人がいてその中の一人、
一番若いとおもう彼女は20代、
「もう3年もこんな生活です」と言っていた。
彼のほうは寝たまま状態、スピーチカニューレで二人の間では会話が成り立っていたようでした。
完治する見込みは無いらしかった。
3ヶ月ぐらいで施設を移動しているとのこと、
3ヶ月で移動しなければいけないのは老人医療だけではないことを知りました。
娘を持つ母親の立場として、もしうちの娘がこのような立場にいたら、
なんて言ってあげるのだろう。
彼女は一人が寂しくて、
「アルコール依存症に近いものがある」って話してもくれた。
そんなおしゃべりをしながら歩いている前を、
食事でも終えたのか、
楽しそうに腕を組んでお店から出てきたカップルが私達の前を歩いていった、
彼女にもどう映って見えたのだろう?、
足取りが気持ちゆっくになってしまいました。
2008.05.10<以上の文章は、他のブログから転載(直しながら)しました>

ここからは、2008.05.10 記
彼女、どうしてるのだろうか?
彼女の彼は、川に遊びに行った時、
飛び込んだ場所が浅かったため、脊髄を損傷してしまったと聞きました。
たまに、リクライニング式の車椅子に座らせてもらい、
食堂兼談話室のようなところで一緒になったこともありました。
最後に二人の姿を見た時
(食べるものも「食べられるのかな?」と思うほどの お菓子などがあったような気がしてます)
「今日は特別な日なのです・・」と一言、
それからしばらくお会いすることもなかったのですが、
どのくらいたった頃だったか?看護師さんから、
その彼が亡くなったということを聞きました。
その後彼女の姿も見かけることはなかったのですが・・
普通の生活に戻れているとよいけど・・とおもっています。




2003年2月に気管切開し、
2004年9月<カニューレがはずれちゃいました。>

いつ頃だったか覚えていないのですが?
カニューレの先についているふたの中に
薄い膜の代わりをするような弁(?)が入っていたのですが
(それが震えて声が出ているようでした)
時々ふたがなくなって、その弁(?)もなくなっていたにもかかわらず声を出していたり、
カニューレの交換のときにも大きな声をだしていたのです。
そんなことがあったので、
「カニューレをはずすことはできないものか?」と訊ねていたのですが、
「担当の先生がはずさない方が良いといって病院を辞めていったから・・」といわれ、
はずしてもらえなかったのです。
でも、
2004年9月22日のこと
カニューレの交換にいつもより時間がかかっていました、
本人も痛がっている声が聞こえたので、
「はずしてもらって良いです」と言ったのですが、
一番細いカニューレに変え、紐はいつもに比べきつめに結わえられていたのです。
(紐を緩めてあげたくなったことを覚えています。)
翌日23日に病院に行った時、
「外れていたので3名の医師で相談の上ではずしました」
と説明されたのでした。
※入浴前に外れていたことに気がついたそうです。
※2008年5月現在、小さな穴が開いたままの状態です。



2005年7月<こんなこともありました>


ドクターからの退院の説明の時、
退院時の説明は、主治医ではありませんでした。
一度もお会いしたことのなかったドクターでした。
母には、毎食時(ナトリウム)1gを必要としていたのに
このときに
「この塩1グラムは必要ないでしょう」と言われ、
以後毎食時の塩1gは入れなかったのです。

しかし、
在宅介護になって数ヵ月後(調べればどこかに記録がありますが・・)
血液検査の結果で、塩分(ナトリウム)が不足と言われたのです。
2008年5月現在も使用する食品によっても違いますが
CZ-HIを利用するときには塩1gを必要としています。



2005-07-02【明日退院】(他のブログからのコピー)

いろいろ用事があって病院についたのが夕方5時ごろでした、
病院で知り合った方(私より年下)が母の相手をしていてくれました。
退院のことを弟が知らせておいてくれたのでした。
母が、”もう少しで(私が)来るからまっていてくれ”
と引き止めていたらしかった。
ありがたいことに母の相手していてくれたのでした。
その後また私ともおしゃべりがはずみ、
「おばあちゃん、私2時間もお邪魔しちゃった」と、
とても明るい方なので楽しいひと時でした。
昨夜、夜勤だった看護婦さんも、わざわざ来てくださった様子でした、
”もし困ったことがあったら・・”と言って、
携帯の電話番号を書いたメモを渡してくれました。
とても嬉しかった。

今使っているものすべて、
(紙おむつ、ケイカン食に必要な容器、薬、ガーゼなど 細かいものすべて)
持ち帰りに用意していただいたのに・・
弟に、「メイバランスは?」と言われて、
なかったことに気が付き、
夜勤の看護婦さんにお願いして、手配してもらいました、
間に合ってよかった、大切な3度の食事なのです 。

2003年1月末入院してから、
  2003年5月までは病棟に、
  2003年6月から療養型病棟にお世話になった病院最後の日です、
  明日2005年7月3日退院して在宅介護になります。


2008. 05. 06(火)晴れ PM15:28


このページを介護記録更新に使用テスト開始
2006年8月からは此方のページに更新しています。


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